磐梯熱海温泉と縁のある五百川。五百川の由来は、室町時代の初め公家の娘「萩姫」が不治の病にかかり、夢枕に立った不動明王から「都から出発して東北(戌亥)方面に行き、宇治川から数えて500本目の川岸に霊泉がある。そこで湯治すれば治る」とのお告げを受け、辿り着いた川が五百川でその上流にある温泉が熱海温泉と言う伝説からである。
500より実際は多いかも知らないが、誰も数えないし、多い、少ないと抗議する問題でもない。これはあくまで寓話で、数のある地名は日本国中、多数存在している。その地名にはそれぞれに由来があり古さを感じる。県内にも二本松・三春・四倉・百目木などが存在する。
その五百川は熱海から東に流れ、阿武隈川と合流する。安子島あたりから郡山市と本宮市の境界になっており、本宮市の南端にある朝日ビール工場の水資源でもあるようだ。
郡山から国道4号線を北上し、この五百川を渡ると本宮市。ビール工場の敷地はずれの信号を右折して直進すると五百川駅である。荒井・仁井田の集落より外れに建設された。そのために通学者の自転車が多い。
知人が「この駅にビアホールを併設し、お客さんが郡山や福島から電車で来られるようにすると、飲酒運転もなくなり、又、気軽に生ビールが飲めて、JRも駅も利用者が増え、市の財源にもなる。いっそうの事、ビール駅と改名したらどうか」と真剣に話していた事を思い出しながら駅を歩いた。
二人で盛り上がったその話はビールだけに「泡」と消えました。
2009.9.11撮影
夕方なにげなくテレビを見ていたら、会津鉄道芦ノ牧温泉駅の名誉駅長の猫(「ばす」と言う名前)を、福島県選挙管理会津地方事務所は、「明るい選挙啓発推進員」に委嘱した。と放映していた。ネコは「明るい選挙」のたすきをかけられ迷惑そうな(?)様子ではあった。かねてよりこのコーナーで「この駅」は取り上げたいと思っていただけに、この際、名誉駅長に一目会っておかなければ・・と思い、「お袋、あした会津田島に行ってやっから・・」と頬杖のまま台所に居たお袋に声をかけた。お袋は以前よりお盆に遠くから集まる姉妹に逢いたいと「足」(私の車)の確保に熱心であったが、私は渋滞などを理由に気が向かなかった経過があった。
田島での昔話など積もる話を強制的に終了させ、私の心はもはや芦ノ牧。湯ノ上温泉を通り、混み合う大内宿の街道を左に見て進む。
私が小学生の頃は、この駅は「上三寄(かみみより)」だった。その頃の住所は北会津郡大戸村であったが、現在は会津若松市大戸町上三寄の地名に残っているだけだ。昭和2年(1927年)に国鉄会津線の駅として開業された。昭和62年(1987年)に国鉄の民営化により、第三セクター会津鉄道に転換されその時に「芦ノ牧温泉駅」に改名されたようだ。温泉駅と言っても温泉の芦ノ牧温泉までは徒歩で行けない距離である。温泉を目当てに来る方には大変申し訳がない。やっぱり「かみみより」が良いのではないか。と思わざるを得ない。国道と駅に入る角に「牛乳屋食堂」があり、大勢の観光客が列をなしていた。お盆中で、駅前は盆踊りの矢倉が組まれて駐車スペースもままならないので短時間でカメラに収める。しかし肝心の「ばす」名誉駅長は外出中であり写真には入っていない。しかもプラットホームに入るのに200円の大金を納めた。入場券を買ったのは、この停車場コーナーでは初めてのことだった。駅は古いが猫がメディアで紹介されて、鄙びた駅はお土産や入場券の収入まで増えた。正に「まねき猫」。この猫が他界されたらこの駅はどうなるのか?お盆でもありちょっと考えた。プラットホームから遠い青空と山を見て、久しぶりに会津の夏を満喫した。
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2009.8.15撮影
土・日曜の高速道路の通行料金が1,000円になったので、先方のお客様の都合もあり土曜日に磐越道を走る。距離で見れば288号線を船引町・常葉町を行った方が近いのであるが、料金を考えて高速道路を選んだ。目的地は大熊町である。いわきジャンクションからいわき中央方面へ。この先は初めて通る。広野町にはJヴィレッジの案内があった。常磐富岡ICで降り目的地に向かう。仕事を済ませ、大野駅に。
このコーナーの常磐線は初登場である。常磐線は1909年に名称を制定し、常陸(ひたち)と磐城(いわき)を結び頭文字で、常磐炭鉱の石炭を東京に運ぶ路線でもあった。東京都・千葉・茨城・福島を通り、終点は宮城県の岩沼駅まで350kmの総延長がある。
大野駅は1904年に開業している。駅員さんに尋ねたら「10数年ほど前、原発の頃に近代的駅に直した」と話してくれた。プラットホームを結ぶ高架橋にはエレベーターが設置され近代的で大きな駅であった。この町には東京電力福島第一原子力発電所が立地して、財源は豊かな町であることが想像できる。
大熊町は1954年に大野町と熊町村が合併して誕生した町で、駅の名称は昔の大野町のなごりである。駅から商店街に出ると、昔は栄えていた様子があるが、どこの町も同様で大型店が郊外に出店して旧商店街は衰退している。土曜日であったが、自分の足音が聞こえるようで、タクシー乗り場も寂しそうに見えた。しかし人口は11,167人(今年5月)と町としては多い方だ。隣駅は夜ノ森駅で夜桜やツツジで有名な駅で東北の駅百選に選定されている。特急「スーパーひたち」もその時期は駅を通過するのに減速し、その時期だけ入場券を発行するとの事である。中通りに住む私には常磐線は縁が無いが、東京から帰郷する際には日暮里から常磐線と磐越東線を乗り継いでみたいと思っている。

2009.5.30撮影
国道252号線(沼田街道)を会津只見方面に向かう。虚空蔵尊圓蔵寺(柳津町)が正面に見える大きな赤い橋を渡りながら圓蔵寺向けて車中から旅の無事を祈りつつ手を合わせる。その下は、雪解けの水を満々と湛える只見川がゆっくり流れている。大河に沿って上流に進むと次は「桐の里」会津三島町である。人口のピーク時は、この只見川の開発事業即ち只見川流域の発電所建設の時と重なる。柳津・三島・金山・只見いずれの町も戦後はこの電源開発で栄えた町だ。現在は2100人でピーク時は7700人であったらしい。
「桐は伐採しても何代と萌芽し、その尽きることを知らざる木」と言い伝えられている。「20年で成長するから女の子が生まれたら桐を植え、お嫁に行く時に桐タンスを作る」とも聞いたことがある。又、桐タンスなどは削り直しが可能で幾世代に渡り使用できる重宝な木である。軽くて丈夫な桐の下駄などは貧乏学生では高値の花であった。最近では桐の木で「サーフボード」を作っているとテレビで知った。
三島町の中心は会津宮下駅で一日上り下りとも6本が停車する。駅員さんが切符を売ったり安全確認や掃除をしたりしている。駅はとてもきれいであった。国道252号は新しい橋とバイパスに変わり、駅の周辺は旧街道となったので、通学時間は賑やかであろうが、日中は車も人の往来も少なく寂しい感じがした。プラットホームを写真の収め、改札口を通ると左手にピンクと白が一緒に咲いている一本の桜が目に飛び込んできた。沼田街道沿いの桜は長く楽しめる。例えば柳津の桜は散っても三島では満開。金山町では7分咲き、只見ではまだ5分咲きと言う感じかな。
「桜は4月の末でも十分楽しめるから、忙しくて見逃した方は一度来てくなんしょ!自分で作ったおにぎり持ってこらんしょ。桜の下で食べるのはうまいからなし。」

2009.4.26撮影
「今年は、紅葉(の時間)が長いね」と、誰もが話題にしてから2週間が経過したが、11月半ばにまだまだ紅葉の会津路を走る。売地の依頼をされた場所の確認で広田町を訪ねた。平成の町村合併で広田町は会津若松市となった。
昨年(2007年)暮れの大晦日に木造の駅舎が火災になり焼失した。新しい駅舎は本年6月に完成した。その火事の様子は、駅の向いにある美味しい黒糖まんじゅうを売っている「菓子処 上田屋」さんのお嫁さんに話を訊くことができた。現在は集会場を兼ね待合室がある、和風建築の駅に仕上がっている。
35年前の昔、材木の営業をしている頃に広田駅の近くに製材所があった。今では何処にあったかも確認はできないが、踏み切りの近くだった記憶がある。
新建材の配達を兼ねてトラックで出掛けたが、帰る頃に初雪となり寒さも手伝って49号線はアイスバーンとなった。この状況では、馬力のない古いトラックでは強清水の坂は登ることはできない。しかもトラックにはチェーンが一本しかなかった。それにチェーンを止める金具とゴムがなかった。その材木店で木材の製品を結束するビニールのひもを頂き、対角線に幾重にもチェーンにかけた。後は願うだけである。片側だけのアンバランスな音の中、坂を上り猪苗代湖を過ぎ、中山峠を下ったら雪は無く磐梯熱海「うえの」のトンカツ屋の駐車場でチェーンとビニュールの命綱はお役御免となった。運転席だけ以上に暑かった当時の怖い思い出は広田や強清水の名前だけでも甦る。
広田駅のホームは他の駅より長い。晴れていれば磐梯山の尾根がきれいに見える。広田町は狭い街並みだが近くに10万㎡を超える敷地の三菱製鋼広田工場があり、今でも随所に賑わいを感じることができる町だ。田中原に「足利ギャラリー」がある。地名の如き、広い田んぼにの真ん中に塀に囲まれた古い民家と大きなケヤキと気持のやさしいご夫婦が迎えてくれる。美味しいコーヒーを飲みながら絵画や彫刻を鑑賞することができる。晩秋の会津路は常に新しい発見がある。

2008.11.11撮影
「中通り」に比べて約10日遅れて「会津」の山あいにある桜が満開となる。その頃、桜前線は北上し盛岡を過ぎ秋田の角館や弘前くらいであろうか。4月の雪解けを待って「渓流釣り」が解禁となり、4月末から山菜採りと山は春を待ちわびた人々で賑やかになる。かく言う私もその一人であり、胸いっぱい新緑を吸い込むために山と川に同化する。
会津川口駅から沼田街道(国道252号)を只見方面に行くと街道端に大塩駅と大きな看板が見える。左折して進むと満開の大きな桜ノ木があった。更に進めて駅の駐車場に車を停める。無人駅の待合室には雪かきの道具があり、春の温かな陽気とのコントラストが印象的で自然に微笑んだ。
大塩は大塩温泉が有名だ。幾度となく通る街道ではあるが、なかなか入浴する機会がない。炭酸ガスの成分が入った炭酸水素塩泉とTVで紹介された事もあり「今年中には」と、毎年のようにいつも心に決めている。大塩は大沼郡金山町の西端にあり、温泉に塩分が多いためについた名前と勝手に信じている。

2008.4.29撮影
何年か前、東邦銀行鏡石支店で不動産の取引があり、時間調整で一度訪問したことがあった。その時は、夏であったが急に空一面黒い雲が広がり、すさまじい雷と雨のために車から一歩も外に出られず、又、カメラも所持していなかったのでガラス越しに大雨と駅を車中から眺めていただけだった。
駅の正面には「文部省唱歌 牧場の朝」の大きな看板がある。
「牧場の朝」
1.ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木にうっすりと 黒い底から勇ましく 鐘が鳴る鳴るカンカンと
2.もう起き出した小舎小舎の あたりに高い人の声 霧に包まれあちこちに 動く羊の幾群の 鈴が鳴る鳴るリンリンと
3.今さし昇る日の影に 夢から覚めた森や山 赤い光に染められた遠い野末に牧童の 笛が鳴る鳴るピイピイと
【作詞】 杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん 明治5年生 和歌山県出身)
朝日新聞社の記者で「アサヒグラフ」の創刊者であるらしい。
【作曲】 船橋栄吉 (ふなはし・えいきち 明治22年生 兵庫県出身)
東京音楽学校卒で同校の教授をしてベートーベンの「第九」をいち早く紹介した方らしい。
この二人が鏡石に来たかどうか、わからないが、町のホームページには、「モデルはこの町にある日本初の西洋式牧場である岩瀬牧場で、明治40年にオランダから乳牛と農機具を直輸入した際の友好のしるしに贈られた鐘がある」とある。
駅舎の隣には「牧場の牛」の像があり、又、駅から見渡すとあちらこちらに三角屋根が沢山ある。官民共に「牧場」の売り出しに力を入れていることが良く分かる風景だ。駅には商工会が同居している。明治22年に鏡田村・笠石村・成田村・久来石村が合併して鏡石村となり、昭和37年に町制を施行して鏡石町となった。
牧場の近くに昨年100周年を迎えた伝統ある県立岩瀬農業高等学校がある。町の方は親しみを込めて「がんのう」と呼ぶ。人口12,724人。

2008.1.8撮影
厳冬期を除き年に3~4回程度母のお供で、山菜採りや母の妹弟(私にとっては叔父・叔母)に会いに行くために田島や只見を訪問する。只見の叔母は私に「どっちまわってきやった?カミ?シモ?」と、毎回同じように尋ねる。カミ(上)とは、只見川の上流と言う意味である。(只見川の上流支流で、伊南川なども含む)もっと分かりやすく言えば只見からシモ(下)は柳津・若松方面を指し、カミ(上)は南郷・田島方面を指す。私は郡山から羽鳥を通り田島町経由で只見町に行き、帰りは柳津町から磐越道を通ることが多いので、カミから来てシモを回って帰るコースとなる。その只見川と沼田街道(国道252号線)と JR 会津只見線が、三つ編みにするように通っている。
この3本に更に昭和村から流れてくる野尻川が交じり合う所で、シモの中間的位置に会津川口駅がある。川口とは、野尻川の河口を言うのではなかろうか。また、国道と駅を川がこれほど狭い所にある場所も日本では珍しいのではなかろうか。まるで街道をひとまたぎにして、駅のホームを台にして、只見川にダイビングが空想される場所である。
川口駅は福島県大沼郡金山町の玄関であり、町の今月の人口は2797人(1182世帯)である。大沼とは、沼沢湖のことである。約5500年前の噴火によって出来た二重式カルデラ湖で、ブナやミズナラ林に囲まれ、面積は約3k㎡でヒメマスが棲む神秘的湖である。昭和30年に沼沢・川口・本名・横田の4村が合併して金山村となり、昭和33年に町制が施行された。町の90%が森林地帯だが、大小30もの集落がある。駅舎は JP や JA の事務所と同じ建物で構成され、 JR をプラスして3 J の建物は珍しい。ホームに出ると対岸の山には雪があり除雪車もスタンバイ状態であった。夕方の冬の景色はそれでなくても寒々しい。駅舎内窓口の脇にストーブがあって手をかざして暖を取り、またシモの柳津町を目指し母と女房の待つ車に戻った。

2007.12.2撮影
国道252号線は、会津若松市から奥会津の只見町を経由して越後の柏崎市を結ぶ国道である。柳津町から只見町までは、国道と只見川(阿賀野川)と JR 只見線が寄り添うように走る。紅葉に誘われ、只見町役場から町では唯一の観光スポットである田子倉ダムに久しぶりに出かけた。展望台は大勢の観光客でごった返し駐車場もままならない。ダム見学をせずに、秘境の駅として名高い田子倉駅に直行した。駅舎は写真でご覧の通りの「車庫か工場」に間違う建物にびっくり。「トイレ・トイレ」と駆け込むおじさんがいたが、直ぐに出てまた車に乗って行ってしまった。入口からホームまでは薄暗く、しっかりした案内も無く、階段で不気味な地下に降りてゆく。剥き出しの鉄骨構造に二度目のびっくり。約100mのホームは改札もトイレもなく、ベンチ以外何も無くあまりの寂しさに三度目のびっくり。駅の周囲は1軒の民家もなく、登山観光客用の駅だから実用的で何も飾らなくて良いのか。ホームのベンチにポツンと置いてあったノートに、訪れた観光客が感想を書いていた。私も、と思ったがボールペンがない。車には入っていたが、わざわざ戻る勇気もなかった。伝言帳に書きたい方は是非ペンを忘れずにご持参下さい。
厳冬の期間である12月から3月までこの駅は「通過駅」となり「駅」では無くなるのだ。案内看板以外では新しいドコモの看板があった。読むと、「駅ホームの一部で FOMA が使えます」と書いてあった。浅草岳・鬼ガ面山の登山口が近くにあるが、あまり来ないと思われる若い観光客相手にドコモの商魂が逞しい事に四度目のびっくり。驚きの連続、晩秋の「田子倉駅」であった。

2007.11.4撮影
郡山発の磐越西線で3ツ目の駅。駅舎は古いが比較的整備されており、陸橋の階段やトイレも綺麗であった。「みどりの窓口」の隣に、古い駅舎の写真が掲示されていた。国道49号線を走る車からは熱海駅のプラットホーム側がいつも見えるが、なかなか駅舎に回るチャンスがない。最近のこと、新聞で磐梯熱海駅の前に、郡山市の施設で無料の「足湯」が出来たことを知ったので、山菜取りの帰りに私のお袋とカミさんで足の混浴をすることにした。ゆっくり足を温めて疲れをとった。丁度、上下線が入り、観光客が降りてきた。旅館のマイクロバスやタクシーがいっせいに動き出す。まだまだ電車で来る観光客に昔の風情を見るようで懐かしいと思った。
「ワラビ採り 熱海の足湯で 疲れ取り」
駅を背に右側に昔「磐光パラダイス」と言う大きなホテルがあった。今は跡地だけが残る。火災があって死者も出たこともあった。頑張って営業していたが、廃業してしまった。その当時は全国から観光客がきていたようだ。
磐梯熱海には、(財)郡山市観光交流振興公社(熱海町熱海二丁目148)の「ようこそ郡山市公共のふれあい施設」のホームページで検証すると全体で6つの内、なんと4つの公共施設がある。7割近くが熱海に集中している計算だ。挙げてみると①郡山石筵ふれあい牧場②郡山ユラックス熱海③磐梯熱海アイスアリーナ④磐梯熱海スポーツパーク、その他に安積町の⑤カルチュアパークと、元日東紡跡地の⑥21世紀公園である。
しかし、民間の温泉に②を対抗している皮肉な建物だ。宿泊施設は無くとも、民間でやれる仕事に官が参入する構図である。磐梯熱海には浴衣をきて歩く場所がない。お土産品の店もない。49号バイパスが出来てから余計に寂びれて見える。活気ある温泉場にするために、公共施設以外の、例えば「カジノ」などの思い切ったアイデアがほしい。
平成18年度の郡山市統計書をみると、熱海町は2482世帯、7159名の人口。熱海町を構成している地名は、石筵、高玉、中山、玉川、安子ヶ島、上伊豆島、下伊豆島、長橋などである。面積は2576 ha で郡山市の全面積(27,024 ha )の約1割を占める。
2007年5月20日撮影







