社長のひとりごと

2009.11.30

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先日一通の開店案内が届いた。工芸美術館を12月に開店する祝宴の案内である。発信してきたのは、親友の田崎建一氏である。案内文章には「白州正子と柳宗悦からそれぞれ一字を拝借して白柳堂と名付けた」とあり続けて「此の地に、少しでも工芸美術のマーケットが創出されれば」との思いでの事と書いてあった。
彼とは昭和52年頃からの知り合いで、同年代でそれぞれの家族構成なども熟知し自由に意見の言える友人である。その時に知り合ったのが我々の兄貴分である今泉健一さんで、同様のお付き合いをさせて頂いている。三人で杯を重ねる事も多く、また毎年のように、秘境の温泉宿を訪ねる旅を共にしてきた間柄である。

田崎氏は、時代を的確に捉え適切な指導をしてくれる。又、私の知らない事柄を教授してくれる。誠にありがたき存在である。今回の「白柳堂」のオープンは彼のテナントビルの1階に自分が賃料を払う形で開店するもので、このような不況下にテナントが決まらず、空室にしておく事に堪らずの感もあるのか?と言う私の憶測を乗り越えて、より積極的な考えのようである。それは店名の考察から違うのではなかろうか。

白州正子(しらすまさこ1910~1998)
最近、NHKテレビで「白州次郎」の生涯が放映され一躍時の人になりその名が知れ渡ったが、その奥様である。写真で見る限り大きな目に鼻筋が通り、笑顔が素敵で伯爵家生まれ育ちとその良さがわかる。結婚後、青山二郎や小林秀雄らとの交遊の中で骨董の美しさに開眼しその世界に引き込まれていった。そればかりか焼き物・木工・漆器・織物・ガラス・ジュエリーの現代工芸者を世に紹介した功績は多大である。

柳宗悦(やなぎ そうえつ または むねよしと呼ぶ 1889~1961)
民藝(民衆的工藝)運動の創始者で有名である。芸術家が作る作品ではなく、日々の生活の中で使われる道具や置物に美を見出し、沖縄・朝鮮・アイヌ・台湾などの工芸品を数多く紹介している。

この偉人二人と彼を比較して見るわけにいかないが、彼の趣味やその眼力は、絵画・漆器・織物(大島紬)・生活用品・置物・貴金属・仏像・カメラ・薬草にまで及ぶ。不動産鑑定士の血が騒ぐのか、彼はこれらの書籍を読み、現物を卓越した眼力をもって研究し、私に語るときは無機質な物に魂を呼び込む如きである。

最終目標はマーケットにあるようだが、この「白柳堂」で彼のコレクションから学ぶ事が多いと思う。そして視野を広げることで人生の広がりを実感できればと思う次第である。
「訊く方に資質がない場合、彼の言葉がウザク聞こえる場合がある」と知人が言っていたが、私も資質がないばかり彼を理解できない場合がある。しかし、還暦を迎え益々パワーアップしてくる親友の事業が繁栄することと健康を願うばかりだ。

2009.11.29

白柳堂:郡山市長者1丁目3番8号 イートンセンター111号室

2009.10.04

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鵜から逃げ 安堵せぬ間の ヤナ場かな

渓流釣りの時期も終わり、いつの間にか10月を迎え、夕べは中秋の満月。きれいな満月でした。今年は福島県西部から新潟県境のかなり山奥まで釣りを楽しみましたが、釣果はイマイチでした。しかし、人里離れた場所に行き、静かに、自然に触れ、心地良いせせらぎを聞き、きれいな空気を肺に入れ、日々の暮らしを見つめ直し、明日への勇気を蓄積する場所は、いろんな意味での道場と考えていますので、渓流釣りは私にとっては大変に意義深い遊びです。留守中、会社を守って頂きました社員の皆様にも感謝です。

9月のシルバーウイークには友人と新潟まで足を伸ばし越後川口のヤナ場に鮎を食べに行ってきました。腹いっぱい卵を抱いているメス鮎を狙う川鵜が水面をみつめて動かないでいる姿が印象的でした。帰りには町づくりの参考にと思い新潟市内を見学してきました。繁華街(古町通り)の裏道を歩いていたら、木造3階建で趣のある建物に目が行きました。有名な「鍋茶屋」でした。建物は文化庁の保存文化財に登録されていると店のパンフレットにありました。眼福・口福―五感で感じる和食のお店だそうです。貧乏な私には高嶺の花。しかし、いつかはここでゆっくり食事をしたいと思える建物でした。歴史のある都市で繁華街の地下商店街でも、いたるところシャッターが降りており、連休でも閑散として買い物客がいないのが今の状況です。経済が活性化され生活者の暮らしが良くなり、商店街に力が戻る日を待ち望んで政権交代を選んだのですから、政・官・財が心を一つにして新しい日本を作っていただきたいと思う次第です。最近、地価公示価格が発表されましたが、毎年連続で土地の価格は下落の一途です。売買を見合わせる傾向が一段と強まる気がいたします。厳しい時代での生き残りに全力で行かなければならないと、思っております。

苦しくとも他人の懐を羨ましいとは思わず、今できる営業を精一杯頑張り、社員は心を一つにして厳しい時代から逃げず、不動産業が出来る社会貢献を模索し、義を重んじ、礼をつくし、正々堂々と会社経営をする。この初心に戻り、残された2009年を頑張っていきますので、何卒、応援をお願いいたします。
最後は、選挙運動か選手宣誓みたくなっちゃいましたね。

2009.10.04

2009.08.25

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雨が多かった今年の夏もあとわずかになりました。夏らしい日差しがあった日に布引高原に行き風車を見て涼んできました。最近、パワー不足を感じていましたので、グリーンパワー郡山布引(J-POWER)から力を頂きたいとの思いからです。風車は青い空と雲をかき混ぜているようで、堂々とした姿は勇壮で感動に値するものでした。空はどこまでも青く、強い日差しでしたが雲はもう秋の雲でした。今年の「まちなか農園」の夏野菜も成長が悪く、収穫はイマイチと言ったところです。虫の音が聞こえてきたら秋野菜の種まき時期の到来です。
 
江戸時代、会津若松と白河を結ぶ街道を白河街道(現在の県道294号線)と言ったそうです。滝沢(本陣)から猪苗代湖の南側、湊を通り赤津、福良、三代から勢至堂峠を経て長沼に出て白河へのルートですが、険しい山を切り開き街道を造り人と物の流通をしていたようです。湊や赤津・福良の街を通ると昔、宿場町だったであろうと思われる所が随所にあります。布引山の風車はこの街道から入りますので、昔の街道の様子を想像しながら「小さな旅」をお勧めいたします。風車が設置されている山頂は平らで、晴れていれば猪苗代や会津磐悌山も眺望できます。


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衆議院選挙も終盤戦です。日本の将来がかかっている大事な選挙です。国政選挙は言うまでもなく経済の再建や世界に誇れる日本の方針を実現するチャンスです。言動に責任を持つ代議士を選び育てるのも我々有権者の仕事ですから、棄権をせず必ず投票に行きましょう。

ゆく夏を 惜しむがごとく 虫の音


2009.07.02

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6月17日に鎌倉を訪ねた。平日にもかかわらず私と同世代の人々の群れ(団塊の如く)に遭遇。北鎌倉から鎌倉までの長い距離、更には鎌倉山と呼ぶようにアップダウンの坂道が続く。息が上がり、大粒の汗、銭洗弁財天の茶屋で人目をはばからず昨日着た肌着と交換。あじさい寺として有名な明月院(めいげついん)で紫陽花を抱いたお地蔵様に逢いましたので写真でご紹介します。

次の日曜日(6月21日)に、予てからの昭和39年度二本松中学校卒業生還暦合同同級会。中学校を卒業して45年の歳月は長くも短くも感じる同窓会でありました。我が人生で、歴史の空白(その当時、理解できないでいた事など)を同級生が教えてくれました。同級生それぞれの人生の中に私もちゃんと存在していたようです。一瞬、鮮明に当時の光景が浮かびあがった時の興奮は例えようのない感激でした。そして夜遅くまで、友達と飲んで話しました。

K君は3年前に長年務めていた新聞社を退職していました。辞めた理由はおかあさんの介護でした。要介護5だそうで、それがどれだけ重いのか私には想像できませんが、K君は自ら積極的に介護に入ったのです。独身の彼は自宅で介護し、食事はヘルパーさんにお願いし、着替えや排泄などは彼がやっているようです。「生まれてから今日までお世話になったお袋に恩返しをしたい」この一心が彼を迷わずその道に進ませたのです。そして「お袋を風呂に入れて、顔を拭いてやるとニコッとするんだ。それが嬉しくて俺も笑顔で返すんだ。俺、変わっているか?当たり前の事を当たり前にしているだけだよ・・」そして続けて、「家族ってそんなもんだよな。家族見捨てて偉そうに一人前な口きく事なんて出来ないよな」

自然に熱いものがこみ上げてきて「看病で、お前も体壊すなよ」この言葉しか私には見つかりませんでした。そこにはやさしいお地蔵さんが微笑んでくれていたようでした。

夫婦・兄弟・家族が集団生活の基礎なら、家族への思いやりと言う愛を、隣人に、学校に、職場に、地域に、福島県に、日本に、更に世界に拡大すれば・・・・・・・
「自未得度先度侘の心」(修証義より)にも通じる事です。

次の日は月曜日、朝礼に間に合うようにいそいそと朝食を済ませ、皆と別れ、着替えのために帰宅。玄関にいたお袋にありったけの笑顔で「ただいま」と言ったら、「悪いことしてきたのか?」と不審に思われました。子供は還暦になっても子供なのですね。

2009.06.15

「どうしたの?更新せずに・・・」多方面からお問い合わせがございました。この「ひとりごと」だけ更新しませんでした。物件は常に更新しております。
いろいろ遊びが多いためです。私は元気で毎日忙しく楽しく過ごしております。

いつも行くスナック(風俗営業取締法の適用を受けずに、保健所の許可だけで営業が出来て客席での接待が禁じられている飲食店)での常連さんの一人で、顔なじみになった方が自作の曲を生オケで歌った。なかなか詩が良かったのでご紹介したい。その歌詞は、折り込みチラシ(スイミングスクール)の裏面に毛筆で書かれていた。

作詩・作曲 げんば 宏幸

人はやさしさと真心でついてゆける
とつぜんの雨にも
すきとおるやさしさがあり
勇気を持って歩いてゆける

人は正直と人情でついてゆける
荒海の中でも
つつまれるあたたかさあり
自信を持って歩いてゆける

人はあたたかいぬくもりでついてゆける
つつまれる心に
これからの人生があり
望みを持って歩いてゆける

(原文のまま)

通称「玄さん」と呼ばれ、お年の割に(失礼!)朝日界隈のスナックで良く通る声で熱唱する方である。「ああ人生の荒海」と題名がイマイチなので、考えてプレゼントしたいが、歌詞も曲も良く出来ている。隣で飲んでいた私は「玄さん、それ貸して」とチラシを借りて、コンビニまで千鳥足で走りコピーをした。
玄さんの人柄が良く出ている。人は絶えず「やさしさ・真心・正直・人情・温もり」を持っていれば、荒海の人生に「勇気・自信・希望」を与えてくれる。と言う人生の(応)援歌だ。

雨が少ないので我が畑のトウモロコシや枝豆に被害がでている。雨ニモマケズに「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」とあるが、農業は天気に頼るのみであり、宮澤賢治の気持ちがよくわかる。この詩にある「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシズカニワラッテイル」「北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアラバ ツマラナイカラヤメロ」ト言い・・・には賢治の他人に対する愛情や思いやりが表現されている。

つい最近だったかな、アルカイダの友人の友人の「山鳩」と「西の川」の喧嘩があったとさ。赤い荷車や赤色の宿が荒れ狂う西の川に流れ、山鳩は大きな声で鳴いて村人に知らせようとしたが、村人はその声を聞こうともしない。山鳩を飼っていた村長さんは素知らぬ顔。それどころか鳩をめがけて石まで投げている。山鳩は流れを止めようと孤軍奮闘の様子。ついには「悪と正義」を持ち出し最後の抵抗を見せたが、川の流れは止めることができなかった。山鳩は「捨て台詞」まで用意をしたが、川に呑み込まれてしまった。これでおしまい。

もう一度確かめよう・・・「喧嘩ヤ訴訟ガアラバツマラナイカラヤメロ」・・われわれもコップの中のつまらない喧嘩を傍観してしまったが、山鳩が権力に向かう姿にどこか共感を持ったことも事実であった。変な世の中だ。

2009.04.13

いよいよ総会シーズンになりました。同業者の総会から異業種グループの総会、はたまたPTA総会と目白押しです。総会や会合のあとの二次会まで含めると大変な宴会となります。こんなに会合があると不景気を忘れてしまいます。それはそれで良いのですが、宴会のあとの二次会について一言。
会合の後の宴会・懇親会は私も大好きです。二次会・三次会まで続くことは良くあり翌日は頭痛とカミさんの小言が付き物です。しかし、二次会を強要する如く全員出席を必要条件に言うことがたまにあります。言い分は「コミュニケーションを求めて」だそうですが、酒が飲めない方や用事のある方の人権はどうなるのでしょうか。二次会は出ないと色々言われるから無理して出ているケースもあり、飲んで酔っ払っている中での意見交換は、あまり良い方向にいかないのが落ちです。二次会にコミュニケーションを求めるのであれば、一次会はどのよう位置付けなのでしょうか。飲み足りない方や、一次会で気が合ってお酒の好きな方同士が、ゆっくり語り合う雰囲気や、歌の好きな方同士でカラオケに興ずるのが二次会の良い所です。二次会は行きたい人だけ行けば良い。無理に誘うことはしない。それが大人の付き合いのマナーと思うのですが。

2月から4月までの異動により移動時期が終わり無休で働きましたので、多少の疲れはありますが、4月1日の渓流釣り解禁日に合わせて岩魚を求めて新潟方面の渓流に行ってきました。釣果は訊かないで下さい。清らかな渓流のせせらぎとマイナスイオンの風に出会うために山奥を目指して行くだけですから。

年々足腰が弱るのが自覚できる時期となりました。これから夏までの休日は山に籠もります。渓流の魚を追い、又、季節の順番からフキノトウ・コゴミ・タラノメ・ワラビ・コシアブラ・ミズナなどカタカナの山菜採りです。山に登り、谷に下り、また滝を上る。丈夫な体に感謝です。「今年は暖冬だからコゴミ採りは4月26日だな」と、今年84歳の母は既に私のスケジュールに勝手に侵入してきました。「一緒に行こう」と言わずに、それとなく予約の合図です。昨年は雨の予報でも「現地は晴れている」と、合羽の用意をしている位ですので。これまた丈夫な母。丈夫で介護にたよらず長い生きをお願いします。

「二本松中学校卒業生還暦合同同級会」のお知らせが届きました。わかっていても「いよいよ俺も還暦か。」と案内と会費振込用紙を見て何度も呟きました。6月に岳温泉に一泊で開催されるようです。我々のクラスは孤独を愛するのか、(同学年含めてだと思うのですが)群れを作らないと言うのか、めったに集まることは無く、同級会は20年振りです。同級生が懐かしいとは思いませんが、この後の同級会は多分無いでしょうから、同年代友人の変化を見学する目的と岳温泉に泊まれることで行く決心です。

満開の桜が奇麗です。

2009.03.12

「自分で育てた安全な食べ物」自・育・安・食をスローガンに昨年から始めた
「野菜作り」を開始する時期を迎えました。今年は2年目です。参加者は私も含めてまだまだ素人集団です。再度、安齋先生(私たちに農業を教えてくれる方です)に登場して頂きます。3月末日まで第二期生を募集いたしますので希望者はお気軽にお申し込み下さい。申し込みは弊社へメールまたは電話でお願いします。

法務省管轄の福島地方法務局郡山支局(桑野2丁目)と仙台入国管理局郡山出張所(朝日2丁目)が、郡山市の西側にある福島県希望ヶ丘ホーム・養護老人ホームのグランドに移転するらしい。(一部新聞にも報道されたようだが・・・)前々から法務局の移転話があり、今から4~5年前に横塚2丁目の火葬場跡に移転すると発表後、中止になった経緯がある。そこは現在、郡山市の撤去自転車等保管場所になっている。理由は定かでないが、火葬場跡が大きい問題だったのではないだろうか。郡山市の東側に法務局を移転する理由の第一は、当時、三春町と小野町の法務局を郡山に合併したために、田村地方の方々への利便性からであったと記憶している。
さてさて、事務所の移転は良くあることではあるが、現在の郡山支局は移転中止後、コンピューター導入の目的もあり、長期間にわたり大がかりな工事をして最近完成したばかりだ。それにより閲覧や申請が短時間になり我々利用者にとっては利用しやすくなった。それに近くに郡山市役所などがあり市民にとっても司法書士の皆様にも大変便利な場所であることは間違いない。
内外装の工事とコンピューター導入による事務所拡大工事の莫大な投資を回収しないままに、移転新築するなど民間の感覚ではありえないことである。(広く明るくなった法務局を一度視察してみてみると良くわかります)移転するのに大規模改修工事をして、尚且つその建物を壊して別な目的にするにしても大変な環境破壊であると指摘したい。

そのような経緯を見ると、法務局には「埋蔵金」があるのではないかと疑いたくなる。法務局を利用する方は、登記簿を閲覧するのに1筆500円、登記簿謄本を申請するのに1筆1000円、地図(公図)を閲覧するのに500円の登記印紙を法務局の印紙売り場から購入し申請用紙に貼る。印紙には契約や領収書に貼るおなじみの収入印紙と登記印紙がある。この登記印紙は昔からあった訳ではなく十数年前に突然登場したものである。この登記印紙を買うと法務局の領収書には「福島法務局欅会郡山支部」とあり、全国的規模で「欅会」があるようだ。不動産業者は毎日のように法務局に出入りし、印紙の売り上げに貢献している。私の会社も年間に100万円以上の領収書が存在する。仕事の量が少ない弊社でもこのような金額なのに、司法書士が納める登記印紙代金は膨大なものであることは想像に難くない。普通の印紙は国税で国の歳入だが、その収益(登記印紙の売上)は欅会の売り上げとなり、国のどの機関に入金されるのか?その中身は不明である。法務局に隠れた組織が存在するのだろうか。登記印紙も最初は30円程度だったが、いつの間にか勝手に値上げされ、コンピューター導入の目的で1000円まで値上がりした。全国の法務局がコンピューター導入になれば、値下げはあるのだろうか。いやいやそんなことは期待しない方が賢明なようだ。一度甘い蜜を知ったものはその甘いものを手放さないのが古今東西の常識である。それが「埋蔵金」の所以で、膨大な予算があるから消費せざるを得ず、増築して破壊し、公害を出してまた新築する。法務局は不動産登記の他に法人登記、成年後見登記、戸籍、国籍、供託、人権擁護事務など手広い仕事で職員はいつも明るく頑張っていて顔見知りも多い。ストレスも溜まる職場であろうが、新しい事務所を望んでいる職員はいないと思っている。なぜ、今、新築移転が必要なのか?今の場所が悪いのか、理由を聞きたいと切望する。

2009.02.09

節分・立春も過ぎ、春はもうすぐです。昔から二月や八月のことを、二八(ニッパチ)などと読んで、景気が悪い時期を指していました。正月明けやお盆の時期はお金の支払いが多くなり、また、商店では寒の時期や猛暑の時期には客足が少なくなるので、その頃は不景気になる事を意味していました。しかし、いつもの二月と今年の二月は大違いです。なんせ、首相も認める「百年に一度」の不況の真っただ中なのです。

新聞紙面には「失業」「派遣切り」「配置換え」「低水準」「内定取消」「工場閉鎖」「赤字」の文字が毎日躍り、テレビなど報道番組も大不況の大合唱です。
その二月に入り、弊社は定休日の無い臨戦体制になりました。郡山市の不動産各社は休日を返上して、皆様の新たな「旅立ち」を「応援」いたしますので是非、門を叩いて下さい。心よりお待ち申し上げます。

昨年末に、秋田県小坂町に住んでいる大学時代の親友(小笠原建夫氏)から手紙とCDが届きました。今から40年前(1969年)、彼のギター伴奏による彼とのデュエット曲と彼が歌ったフォークソングなどなどです。二階から娘の使ったラジカセを探し、ホコリを拭って父母とカミさんの4人で、私の二十歳の歌声を聴きました。彼からの手紙には「録音はSONYのオープンリール・テープレコーダーデッキで、この機種は完成品に近づいていた。そこで昔に録音したテープでも、もともと高品質の音だから、現在現役の最高級デッキで再生すると、イマ風の音に加工できるようになる」のだそうです。そして、「ネットオークションのお陰で、昔は高嶺の花だった高級デッキを、過去の一時代を画した名機をやみくもに買い集め、ディジタルリバーブなどと言う録音機材を追加し、少しでもカッコいい音を残そうと複写したのが、このCDだ」との事でした。

「あっという間に時空をぶっとんで昭和44年の大学の階段教室にいた...あの頃の空気感を皮膚感覚で思い出した」と書き足してありました。私も頭の中で、当時の録音した現地に集合するには時間を要しませんでした。場所は福島市森合町、彼が借りていたアパートの6畳一間で、夏が終わろうとしていた頃でした。ビートルズの「レット・イット・ビー」の映画ポスターが貼ってあるコンクリートの壁を背にして彼は座り、右隣りにはオープンリール・デッキ、その前に歌詞カードをもって座る私。二人の真ん中には録音用のマイクが立ち、汗でズレるメガネを右手の人差指で直しながら彼はギターを弾きました。何度も何度も私に歌唱指導をしながら「ガシャ」と録音の繰り返し。こんな風景でした。ザ・ビートルズの曲を夜遅くまでギターの練習したのもこの部屋でした。

彼からの手紙には「映像とちがって、音は想像力をひどく刺激します。音は、忘れかけていたことを極めて鮮やかな映像として頭の中に再生する、と言えましょうか。まあ今宵はひとつ、若かったころを思い出して、星の光を浴びて下さい」と結んでありました。

昔の自分の声に、現在の声を一人静かに口ずさみ音を重ねていきますと、確かに鮮やかな映像で再生されました。昔は良かったなどと単純には思いませんが青春時代は、物は無くとも「星の光」のような柔らかな心の豊かさだけはあった気がしました。今までの彼のご厚情に感謝、そしてこれからの深い友情に乾杯を。

2009.01.05

新しい年 2009年をお健やかにお迎えでしょうか。昨年は大変お世話様になりました。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

丑年に誕生した小生は、いよいよ還暦の歳を迎えました。還暦はなんでも厄年との事で、昨日は守り本尊である虚空蔵尊が祀られている圓蔵寺(会津柳津町)に厄払いのお祓いをして参拝してきました。圓蔵寺も恵日寺と同じで徳一大師が開創したと伝えられ、沼田街道からみると崖の上に建てられており、なかなかの景勝地です。山門は階段の途中にあり、息を切らして登りました。境内にある「撫牛」もなでてきました。帰り足の高速道路から夕日に輝く神々しく、雄大な磐梯山に出会う事ができました。思わず「良い年になるように」と祈念いたしました。

毎日何気なく見ている物がやけに「心」に迫ってくることがございます。人間の関係も同じです。今年は一つ誓いをたてました。何事においても「好き」「嫌い」を言わない事です。そのような小さい感情は心の中で処理することにいたしました。判断は人によって自由に変化します。それを言った途端に他人を否定し、又、自己が否定されるからです。時代が時代だけに、大らかに風流に生活を楽しみたいと思います。

もうすぐ進学、就職の時期が到来です。弊社は1月末から4月10日まで無休となります。皆様のお越しを心からお待ちいたします。

2008.12.05

NHKからの取材日を11月20日の午前10時に段取りをした。折りしもその前日は、宅地建物取引業協会郡山支部・流通部会の忘年会が二本松市岳温泉の「櫟平(くぬぎだいら)ホテル」で開催された。露天風呂では、新潟県小地谷から観光に来られたお客と2004年10月の中越地震について当時の貴重な経験を拝聴していた。突然雪が降ってきた。初雪とまだ枝に未練な紅葉が風流である。勿論、その晩は大いに盛り上がり楽しく酒を飲んだ。
朝起きたら一面の銀世界、紅がまっ白。夕べの優雅な気持ちは一瞬に「無」になるには、一秒も要しなかった。車に積もった雪を除き、未だスノータイヤに履き替えていない車をゆっくりと転がすように山を走り下り会社に出勤した。
9時30分にNHK福島支局から飲み友達の記者とカメラマンの二人が来社され早速、大槻町まで案内した。その日の夕方6時10分と夜8時45分のニュースで「94年前の郡山案内書発見!」でTV放映された。

「郡山案内」の文章を原文のまま紹介します。写真から起こしていますので不鮮明な場所の間違いはお許し下さい。尚、本分は所有者からの許可の得て公表いたしています。

【郡山案内】

「総 叙」
「鱗々たる屋瓦一圓に連り、皓々たる白壁四邊に輝き、西に聳えて巍峩たるものは是れ安積郡衛にして、南の方遠く萬頃の田園を指し、近く百千の人家を數へ、共樂坐の巨棟。専賣支局の溝。一眸に入るものは實に金透學校の雄姿となす。如寶寺の巨刹は翠梢緑枝の間に溢れ、紡績、カーバイドの工場は裁判所と街衢を展開し、麓山の雅趣は秋月に鳴り、共樂園の清景は春花に高く、幾多の工場會社を包容して、宛然盛都の壯觀を擬し、南上北下の車客をして一驚三歎、轉た其繁榮の状を想見せしむるものは、是れ郡山の現時にあらずや。」

「位 置」
郡山は安積郡の東部、磐城岩代二國の中央を占め、東北本線、岩越線、平郡線等の要衝に當る。即ち「南」は白河を経て、東京へ約六時間にして達すべく、「北」は福島より一は米澤、山形及び秋田へ、一は直ちに仙臺を経て青森に至るべし。而して東は三春より平に出てい磐城海岸の景勝を探り、西は若松及び喜多方を過ぎ、約七時間にして日本海岸の諸都邑を訪ふべし。郡山発展の因たる斯の天與の好地位を占むる蓋し亦其一たるを失はず。  (次回に続く)


今年は一年が早く過ぎた気がしています。それだけ慌ただしい年でした。来年も気持ちを引き締めて、皆様の役に立ちたいと念じています。多少早いですが一年間のご愛顧に感謝申し上げます。尚、年末は27日まで営業します。翌年は1月5日から営業を開始します。来年は牛年です。私は年男です。還暦を迎えます。来年が皆様と私にとって良い年でありますよう祈念いたします。一年間ありがとうございました。

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